未曾有の被害をもたらした東日本大震災から15年。当時のことを思い出した方も多いのではないでしょうか。
あの日、私は大阪で教員をしていました。学年末試験が終わり、成績処理をしている最中の出来事でした。大阪でもかすかながら、長い時間揺れを感じたことを覚えています。その後、東京に住む両親へ食料や電池を送ろうと店に行くと、「いつ届くかわからない」と言われながらも、段ボールいっぱいに物資を詰めて発送しました。あの時の光景は、今でも昨日のことのように思い出されます。
その翌年、私は心身ともに限界を迎え、教員を退職しました。そして親族が経営するランドセルメーカーへ転職します。転職の大きなきっかけとなったのは、「福島県に新しい工場を建設するので、その立ち上げをやってみないか」と声をかけてもらったことでした。震災の後、自分のことで精一杯で、何もできていないという思いがずっと心に残っていました。福島に行けば、何か自分にもできることがあるのではないか。そんな漠然とした思いを抱いていたことを今でも覚えています。
着任したのは福島県会津若松市。内陸の街のため震災の直接的な被害は大きくありませんでしたが、避難された方々の仮設住宅があり、震災で自宅を失った方が会社の面接に来られることもありました。また、お酒や農作物などの風評被害に苦しむ状況もあり、震災の爪痕は色濃く残っていました。それでも街の人たちは力を合わせ、復興に向けて前を向いていました。その姿がとても印象的でした。地元の方々にも温かく迎えていただき、「自分にも何かできるかもしれない」と思い始めていた矢先、中国の関連会社への出向が決まります。
結局、何もできないまま2013年4月、中国大陸へ渡ることになりました。その頃、中国の四川省でも大きな地震があり、連日被害の様子が報道されていました。しかし、まずは中国という国に早く馴染み、仕事を覚えることが優先となり、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな中でふと、「福島県と四川省をつなぐシンボルを作ることができたら、それが自分にできることの一つになるのではないか」と思うようになりました。
その想いを、上司である従兄弟と、中国人の先輩に話してみたところ、返ってきた言葉は「いいじゃん、やってみようよ。」の一言。即決でした。今思えば、あの頃はみんな若かったですね(笑)。
福島には日本本社と私から、四川には最大都市・成都にあるランドセル販売代理店の社長ご夫妻へ、中国人の先輩から連絡を入れてもらい協力を打診しました。その結果、最も被害が大きかった山間部の学校の校長先生とコンタクトを取ることができました。
社内で議論を重ねた結果、七転び八起きの象徴である会津の民芸品「起き上がり小法師」にパンダをデザインした「起き上がりパンダ」を販売することに決まりました。


中国では成都、私がいた蘇州、そして上海で代理店を通じて販売。日本では福島県内やアンテナショップ、さらにパンダを飼育する国内の動物園で販売しました。限定1,500体の生産でしたが、数ヶ月で見事完売しました。その売上で、友人が勤務していたNEC製のパソコンを購入し、四川省の学校へ寄贈しました。また、会津の小学生と四川の小学生が交流するイベントも企画しました。
ただ、心残りもありました。福島の方々へ直接的な支援ができなかったことです。その後、ビジネスとして漆器や張り子、会津木綿、絵ろうそくなど福島の伝統産品を中国で販売する取り組みを行いました。福島の方々や福島県、上海総領事館、JETROなど多くの方々にご支援いただきましたが、自分の中では「何か違う」という思いが残り、悶々とした気持ちが消えませんでした。
2015年、ひとつのチャンスが訪れます。福島県出身で、当時読売巨人軍で活躍されていた鈴木尚広選手が中国に来てくださることになったのです。長年弊社を支えてくれている森松信樹さんや仲間たちとともに、福島県復興のチャリティイベントを企画しました。上海のオークラホテルや蘇州の日航ホテル、日本人学校での講演会を企画するとともに、中国にある日系企業へ寄付の協力をお願いしました。
多くの日中の方々のご協力によりイベントは成功。集まった寄付金は、福島にゆかりがあり上海にも店舗を持つスポーツ用品店ゼビオ様を通じて、福島県の避難地域にある小学校へ寄贈されました。野球用品をはじめ、体育で使用するスポーツ用具を届けることができました。その後、鈴木選手には内堀福島県知事を訪問していただき、イベント実施とスポーツ用品寄贈のご報告を行っていただきました。これが今回の取り組みの集大成となりました。
震災を風化させないこと。
昨日(3月11日)、実家の引っ越しのため片付けをしていると、「起き上がりパンダ」が飾ってあるのを見つけました。中国での3年間が、昨日のことのように思い出されました。震災から15年。完全な復興は、まだ道半ばです。そして、いつどこで大きな地震が起こるかもわかりません。今年は帰国して10年になります。東日本大震災で私自身が直接被害を受けたわけではありません。しかし、この震災が私の人生を形づくる大きなきっかけになったことは間違いありません。震災を風化させないこと。そして、備えるきっかけをつくること。それもまた、自分にできることの一つだと思い、筆を置きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
